初めまして!
伊藤こうしろうです!
(本名は伊藤皇士郎と申します)


今回は初投稿ということで
自己開示をさせてもらいます!
※とても長文になりますのでご了承下さい🙇‍♂️

◎幼少期~思春期


自分の生い立ちについて触れさせていただくと、祖父が市議会議員だったこと
以外は普通の家庭で育ちました。
父は厳しかったですが尊敬できる人です。
小学生の頃からサッカーチームに入れてもらい
GKとしてプレーをしており、東尾張選抜に選ばれるなど地元では割と有名な選手になれました。
高校生の頃には全国大会出場のメンバーにも選ばれました。(ベンチから試合を眺めて引退しましたが笑)


◎前途多難な大学生期



大学進学後はとにかく遊びたい一心でバイトや夜遊びに精を出しました( 笑 )

錦の町でバーテンダーをしてみたりして沢山の人を見てきました。

常連のお客さんには社長も多くいらっしゃり立ち振る舞い等を勉強させてもらいました。
自分もこんなおじさんになりたいという憧れができたり、充実した日々を送っていました。

また、地元のサッカーチーム
「小牧エルフFC」
でコーチをして、地元に貢献をしたりもしていました。

20歳までは、、ですが。

そんな20歳の誕生日目前の19歳の夏の事です。

深夜までバイトをした後友人と100Kmほど離れた温泉地にバイクでツーリングに行きました。

疲れが溜まっていた中での温泉は相当気持ち良かったのを今でも覚えています。

しかし、帰り道の事です。
温泉地を発つ前に朝食でシュークリームを頬張り山道を下っていきました。

ただ、いかんせん眠い。バイクでの居眠りは絶対にまずいとわかっていましたが眠気に負けてしまったのでしょう、気がついたらガードレールが目の前に差し掛かっていました。急ブレーキをかけましたがタイヤがスリップしてしまい身体がガードレールに直撃。
幸い、頭はなにもぶつかりませんでしたが下半身の痺れが凄まじい。


少しでも体を動かすと地獄のような痛み。
変に冷静になりながらこのまま死んでしまうんだろうなと感じました。

先を走っていた、友人が僕がついてこないことを不思議に思いUターンをしてきて救急車を呼んでくれました。


近くの病院に緊急搬送をされましたが、あまりにも重傷であった為ドクターヘリで大学病院に運ばれました。


到着後すぐに全身麻酔手術。
担当のドクターは国内指折りの腰の名医であったため一命を取り止めることができました。

手術後、ドクターにあと傷が5ミリ深ければ内出血多量で死んでたよと笑いながら言われて本気でビビりました。。 2週間後もう一度全身麻酔の手術を受けて三ヶ月間ベットで寝たきりの生活を送りました。

もう一度まともに歩けるようになるか本当に不安でした。

そんな中10月に20歳の誕生日を迎えました。

悔しいやら悲しいやら、でも生きてることが嬉しいやらいろんな気持ちが込み上げて泣きました。


リハビリ期間を含めると半年間入院
をしましたが無事退院をすることができました。

◎芽生えた不安と成長への渇望



この経験から自分の中に2つの考えが生まれるようになりました。

1つ目は、失敗をすると死ぬかも知れない。安全策をとっていこう。という考え。

もう一つは、明日死ぬかも知れないなら毎日笑顔で成長し続けよう。という考え。


完全に相反する思考が自分の中に強く植え付けられ、決断がぐらつくことが多々出てきました。

こんな事言ったらそんなの後者の気持ちに振り切れよ!って周りは思うでしょう。
自分でも客観的に見ればそんなのわかってます。

でもそう簡単ではないんです。
怖い、恐いんです。


だからこそ僕はこの怖がりの自分を宥めてあげれるくらい強い自分になりたいんです。

ミスをしないような、ミスをしたって自分ならへっちゃらだよって言える自信が欲しいんです。

だから僕は成長したいです。
臆病な自分を安心してさせてあげて前向きに笑っていたいんです。

この時代であれば、こんな僕でも成長の手助けをしてくれるひとたちがきっとたくさんいる。

そしてぼくも、自分ができることを増やして世の中に還元したい。

そんな思いで社会人になり、
現在はIT企業を経営するようにまでなりました。

◎政治と自分

これまでの経験を通して、思ったことは

「もっと早く色々なことを知っておけば良かった」

ということです。

例えば論理的な考え方の技術やお金のこと、人生に迷ったとき、そしていじめなどにどう対応するべきかなどについてです。
人によっては幼い頃からできている場合もあるのですが、

それはご家庭の環境や教育方針などによって「できる」「できない」が変わってしまうと思います。

小牧エルフFCでコーチをしていると、それを強く間近で感じました。
海外ではこうした教育が学校で行われているため、個々人それぞれの考え方がしっかりしている人が多いと言われています。


日本では人材の流動性を上げることが推進されています。(つまり転職する人を増やそうということですね)
確かに海外の人材流動性は高いのですが、そもそも教育体制が違うのです。
自分自身転職回数が多いため感じることですが、より強い日本を作るためには教育を変えていく必要があると思います!
実際に体験をしている自分自身が変えていきたいと強く思っています。


また、祖父母と同居しているため感じることが世代ごとに交流が分断されてしまっていることです。
老人会など、同世代の交流は多いのですが現役、子供世代との交流の場が少ないと感じています。

住み良い地域を作るためにはまずは、人と人の交流を活性化させることが大切だと考えます。
「お隣さんはこんな人」だということがわかっていれば安心で安全な地域が維持されると思います。

このことが実現されると、
子供が育てやすくなります。
子供が育てやすい地域には人が集まります。
人が集まる地域は活性化します。


この循環を回していくことが私の使命だと考えています。

そして、子育てNo1のまちとして小牧市はさらに制度を充実させていく必要があると思います。
例えば出産費用に関して、
令和5年4月1日以降の出産かつ産科医療補償制度加入の医療機関等で出産された場合は、50万円の出産一時金が支給されます。

しかし、現在の出産費用の相場は60万円前後の費用がかかってしまいます。
つまり自己負担として10万円ほどの費用が家計から出ていってしまうのです。

このことはこれからお金がかかる子育て世帯に重くのしかかってくると感じます。
少子高齢化といわれている中で、子育てにかかる費用は極限まで減らすために
まずはスタートである出産費用の無償化に向けて動いていきたいです。

やるべきことがたくさんある!!

◎まとめ

ここまで来れたのは、
苦しい経験をもとに努力を重ねてスキルを身につけたことで壁を乗り越えてこれたからだと思います。

また、自分ができることが増えたことで
人の役に立てるようになり、応援してくれる人が少しづつできたことも大きいです。

ここ小牧をもっともっと良いまちに変えていくために、皆様の身近な存在として活動していきます!

これからみなさんよろしくお願いします😊

共に未来を変えましょう!